関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋、吉川広家の裏切りは勝敗に大きな影響を与えましたが、その他にも西軍総崩れの引き金となった裏切りがありました。脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らの裏切りです。
元々彼らは、小早川秀秋の裏切りを予測していた大谷吉継がその対策として配置していた軍勢でした。予想通り秀秋が裏切り突撃してくると大谷勢は圧倒的な兵力差でありながら、それを幾度と押し返す奮闘を見せますが、突如、脇坂、朽木、小川、赤座らの軍勢までもが東軍に寝返ります。
裏切り対策に配備したはずの軍勢が逆に寝返るという、まさかの展開に四面楚歌となった大谷勢は、さすがに為す術もなく壊滅し、それを口火に西軍は総崩れとなります。
もし、彼らの裏切りがなかったら大谷勢は戦線を維持できていたと思われ、もしかしたら関ヶ原の戦いもまた違った展開があったかもしれません。
ちなみに、東軍に寝返った脇坂、朽木、小川、赤座ら4名がその功により恩賞にあずかったかといえばさにあらず。
当初より東軍に与する意思を明らかにしていた脇坂安治は所領を安堵されましたが、合戦途中で内応を約束した朽木元綱は減封(所領削減)、日和見的な裏切りであった小川祐忠、赤座直保にいたっては改易(所領没収)という厳しい処分が下されています。